庭園長のブログBLOG

庭園長のガーデニング・エトセトラ(10)屋上庭園のルーツは下関にあり!

2025.7.21

屋上庭園や屋上緑化の歴史は古く・・・紀元前600年頃。
古代メソポタミアの新バビロニア王国、
「バビロンの空中庭園(hanging garden)」が有名で、
世界七不思議のひとつに数えられている。

さて、現存する日本最古の屋上庭園は、ここ下関にある。
世界的にみても、一・二番の古さともいわれている。
そう、大正4年(1915)年竣工の「旧秋田商会ビル」だ。

建築史家の藤森照信は、「1915年の屋上庭園は、
日本の屋上庭園の歩みの中で群を抜いて早い。
もしかしたら、世界的に見ても、一番か
二番になるかもしれない」と述べている。

ドーム屋根の塔屋と書院風の建屋と回遊式日本庭園の
とりあわせが関門海峡の借景に映えてユニークだ。
マツやモッコクなどの和風植栽と築山と灯篭と芝生・・・
当時は、この屋上庭園に、小川も流れていたとか。

施主の秋田寅之助は、事業家であり政治家。
この屋上庭園を「棲霞園」と名づけていた。

当園、リフレッシュパーク豊浦の近隣に、
秋田寅之助が晩年を過ごしたゆかりの地がある。
川棚温泉にも近い秋田山荘跡がそれだ。

ワク溜池の小径をぬけ、雑木林をめぐる散策路の奥に、
別荘跡と庭園跡が、風雅の名残りをとどめている。

広大な池には石橋がかかり、寅之助が育てていた
睡蓮が、今も時季になると美しい花を咲かせる。

無鄰菴(現・東行庵)を原点に、
近代庭園の礎を築いた、山縣有朋。
関門海峡沿いの秋田商会の屋上で、
近代屋上庭園の礎を築いた、秋田寅之助。

いまも残るこのふたつの事例をルーツとして、
この地を、ガーデンシテイ下関❞と言い切っても、
過言ではないと思う。そしてこれからも、
下関は、❝ガーデンシテイ下関❞であり続けたい。
その中核を、❝リフレッシュパーク豊浦❞が
担っていけたらうれしいと思う。

庭園長 國司 淑子(くにし としこ)