屋上庭園や屋上緑化の歴史は古く・・・紀元前600年頃。
古代メソポタミアの新バビロニア王国、
「バビロンの空中庭園(hanging garden)」が有名で、
世界七不思議のひとつに数えられている。
さて、現存する日本最古の屋上庭園は、ここ下関にある。
世界的にみても、一・二番の古さともいわれている。
そう、大正4年(1915)年竣工の「旧秋田商会ビル」だ。
建築史家の藤森照信は、「1915年の屋上庭園は、
日本の屋上庭園の歩みの中で群を抜いて早い。
もしかしたら、世界的に見ても、一番か
二番になるかもしれない」と述べている。
ドーム屋根の塔屋と書院風の建屋と回遊式日本庭園の
とりあわせが関門海峡の借景に映えてユニークだ。
マツやモッコクなどの和風植栽と築山と灯篭と芝生・・・
当時は、この屋上庭園に、小川も流れていたとか。
施主の秋田寅之助は、事業家であり政治家。
この屋上庭園を「棲霞園」と名づけていた。
当園、リフレッシュパーク豊浦の近隣に、
秋田寅之助が晩年を過ごしたゆかりの地がある。
川棚温泉にも近い秋田山荘跡がそれだ。
ワク溜池の小径をぬけ、雑木林をめぐる散策路の奥に、
別荘跡と庭園跡が、風雅の名残りをとどめている。
広大な池には石橋がかかり、寅之助が育てていた
睡蓮が、今も時季になると美しい花を咲かせる。
無鄰菴(現・東行庵)を原点に、
近代庭園の礎を築いた、山縣有朋。
関門海峡沿いの秋田商会の屋上で、
近代屋上庭園の礎を築いた、秋田寅之助。
いまも残るこのふたつの事例をルーツとして、
この地を、ガーデンシテイ下関❞と言い切っても、
過言ではないと思う。そしてこれからも、
下関は、❝ガーデンシテイ下関❞であり続けたい。
その中核を、❝リフレッシュパーク豊浦❞が
担っていけたらうれしいと思う。
庭園長 國司 淑子(くにし としこ)