日本庭園の原点は、どこにあるのだろうか。
縄文・弥生・古墳時代の状況は、発掘調査等による
考古学的アプローチか、現存遺跡から類推するしかない。
一般的には、6世紀中ごろ、大陸から朝鮮半島経由で
仏教とともに庭園文化も伝えられたと考えられている。
日本書記には、飛鳥時代(612年)に百済から渡来した
土木・造園の専門家、路子工(みちのこたくみ)が、
須弥山(仏教で世界の中心にある山の意)石(噴水装置)や
橋を造形したとの記載がある。
この人物が、記録に残る日本最古の庭園技師だという。
さらに日本書紀には、日本最古の宮廷庭園として、
白錦後苑(しらにしきのみその・飛鳥京跡苑池井関)
の名が記されている。
天武天皇(在位673~686)が祭礼や饗宴を行ったと
考えられており、今後の解明が待たれている。
もうひとつのルーツとして挙げられるのが、
神が降臨する磐座(いわくら)や、神をまつるために
池の中に神島をつくることを庭園のルーツとする説だ。
その源流には、縄文・古墳時代から続く日本古来の
石や自然に対する信仰があると思われる。
近代日本庭園の造園家・重森三玲の孫の重森千靑氏は、
こうした感覚に着目し、「石を立てる」表現として、
環状列石(ストーンサークル)等を例に掲げている。
石に魂が宿るという感覚は、磐座にも通じるものだ。
こうした日本固有の精神的土壌があるからこそ、
大陸から伝わった庭園文化は、単なる模倣にとどまらず、
日本で独自の発展を遂げていくことになり、
庭石、築山、池などが、日本庭園の重要な要素になっていく。
平安時代末期に著された日本最古の造園技術・理論書である
『作庭記』には、こう書かれている。
「ある人曰く、山水をなして、石をたつる事は、
ふかくこころあるべし」と・・・。
庭園長 国司 淑子(くにし としこ)
