庭園長のブログBLOG

庭園長のガーデニング・エトセトラ(31)~日本庭園の源流②~飛鳥京に築かれた日本最古級庭園「飛鳥京跡苑池」

2026.9.29

2026年7月に、世界文化遺産に登録された
「飛鳥・藤原の宮都」は、6世紀末から8世紀初めに
かけて100年間に、中国大陸や朝鮮半島との交流を
通じて築かれた、日本初の本格的な中央集権国家。

天皇が変わるごとに移転していた宮殿が定着し、
日本国誕生の舞台となりましたが、同時に、
日本庭園の源流ともいえる宮廷庭園も築かれました。

7世紀中ごろ、斉明天皇の時代に築庭され、
天武・持統天皇の時代まで使われていました。

中国や朝鮮半島の造園技術の影響を受けながらも
日本独自の意匠や構造が導入されています。
その名も、「飛鳥京跡苑池」。
南池と北池とで構成され、渡堤や護岸、中島、
噴水、高床式の水上舞台をはじめ、
日本最古の水時計などが設けられました。
「水と石の庭」ともいうべき多彩な意匠です。

また、州浜や立石など、後の日本庭園に
通じる要素も見て取れます。

これらは、東アジアからの外交使節団を
接待する庭園だったと推測されています。
近年では、南池は鑑賞目的に、北池は禊や祭祀に
使われていたことが明らかになっています。

さて、『日本書記』の天武天皇14年(685年)の
条に、「白錦後苑」という庭園の名が出てきます。
これが、「飛鳥京跡苑池」と同一ではないかという
説もありますが、まだ確定したものではありません。

ともあれ、日本庭園史にかかわる新たな発見に
間違いはなく、槇原考古学研究所は・・・、
「日本庭園史の出発点を飾る庭。
万葉集を詠むポイントだったのかもしれない」
と発表しています。

また、文明批評家・亀井勝一郎は飛鳥の地を訪れたとき、
「一塊の土にすら歴史がしみこんでゐるといった風だ」
という感想を書き記しています。
世界文化遺産の登録を経て、古代から吹きわたる風が、
私たちの庭園史ロマンをかきたててくれます。

庭園長 国司 淑子(くにし としこ)